日本で初めてマヨネーズを製造・販売
中島は1910年代、当時の農商務省による海外実業練習生として英国と米国に約3年間滞在。そこで“オレンジママレード”と“マヨネーズ”に出会いました。
1923(大正12)年に関東大震災が発生。その復興の中で女学生の装いが洋風化するなど生活様式が変化する様子を見た中島は、食卓にも変化が訪れると感じ、食品工業でのマヨネーズの製造に向けて動き出します。
1925(大正14)年、「おいしく、栄養のあるマヨネーズを、生活必需品となるまで広く普及させて、日本人の体格と健康の向上に貢献したい」という想いで、卵黄タイプで栄養価の高い「キユーピー マヨネーズ」を発売しました。ブランド名には当時、人気だったキャラクターの「キユーピー」を採用しました。
発売当時、日本ではほとんど知られていなかったマヨネーズ。「キユーピー マヨネーズ」を広めるため、食卓にさりげなく「キユーピー マヨネーズ」が描かれている美しい絵画を広告に使うなど、創意工夫を凝らしました。