このページの内容は、Nature誌2021年7月29日号への掲載記事
(URL: https://www.nature.com/articles/d42473-021-00286-1
を日本語に翻訳したものです (日本語版文責:キユーピー株式会社)

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疾病を発症前に予防する

健康的な食生活を推進してきた歴史を持つキユーピーが、疾病の予防を目的として、食事がマイクロRNAの発現に与える影響を研究している。

マヨネーズで有名な日本の食品会社が医学的な研究を行っているのは不思議に感じるかもしれないが、それには理由がある。キユーピーは約100年前の創業以来、生野菜を食べる食文化が定着していない日本において、サラダの消費を推進し、野菜摂取量拡大やそれに伴う食文化の発展に貢献してきた。がんやその他の疾病の予防に関するキユーピーの研究は、食を通じて健康に貢献するという創業時からの想いの自然な延長線上にある。

病気になる前に予防することで、医療費を削減し、生活の質を向上させることができる。

病気になる前に検知

現代医学は当然のことではあるが疾病に罹患している患者の治療に注力しているが、診断可能な病気になる前に、疾病罹患リスクが高まっている状態を検知することは別の有望なアプローチの1つである。キユーピー株式会社のプロジェクトリーダーである河野純範氏は、「がんなどの疾病に罹患しやすくなっている病気になる前の状態(いわゆる未病状態)は、介入するのに最適な時期であると考えられています。病気の治療は重要ですが、病気になる前に予防することで、医療費を削減し、人々の生活の質を向上させることができます。」と語る。

未病状態を検出するための信頼できる方法を探す上で、たんぱく質を作る情報を持たない(タンパク質をコードしない)ノンコーディングRNAの1種であるマイクロRNA(miRNA)は大きな可能性を秘めていると考えられる。そのmiRNAは1993年に線虫で最初に発見され、その後多くの生物種でその存在と機能が明らかにされてきた。

がんを含む多くのヒトの疾病は、それぞれに特徴的なmiRNAの発現変化により、miRNA全体の発現バランスの不均衡を示すことが分かってきている。例えば、miRNAの機能としては、腫瘍の発達を促進するタンパク質やそれを抑制するタンパク質の発現を制御することにより、腫瘍細胞の増殖、増殖抑制の回避、および細胞死抵抗性を助けることが知られており、がんの進展に重要な役割を果たすと考えられている。また、血液を循環することによって転移にも寄与することも知られており、体液中でmiRNAが検出できることからもmiRNAは未病状態を含む健康状態測定のバイオマーカーになりえると考えられている。

現在キユーピーは、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から委託された国家プロジェクトにおいて、日本のさまざまな大学の研究者とともに、人工知能(AI)を利用して、未病状態を検出し、miRNAの発現と特定の疾病発症リスクとの関連を確立するシステムの開発に取り組んでいる。同社は、miRNAの発現状態と特定の疾病の未病状態との相関関係を示すだけでなく、特定のmiRNAの発現がどのような疾病を発症するリスクを高めるかについての手掛かりを提示できる「説明可能なAI」を開発することを目標にしている。

食事で未病状態から改善

人を健康な状態に戻すための改善策がないならば、未病状態を特定するだけではあまり有用なものとは言えない。したがって、キユーピーの研究者が取り組んでいるもう1つの、より困難な課題は、食事やその他の生活習慣の改善によって未病状態を健康な状態に戻す方法を発見することである。

欧米人のがんの約30%は、食事の要因が原因であると推定されている。もしバランスの悪い食生活が病気につながる要因であるとすれば、野菜や果物の摂取を含むバランスの取れた食事が、未病状態を反対方向、つまり健康な状態に導くという興味深い可能性が浮かび上がる。

未病状態から健康な状態に回復させることができる食を特定することは、簡単ではないが今後期待できるアプローチの1つであると考えられる。この点において、キユーピーのコーポレートサイエンティストである大塚蔵嵩氏は未病状態と食との関係性を検討している。食品由来の天然化合物が腫瘍関連のmiRNA発現に関して良い方向に影響を与える可能性があるという研究成果がまとめられており、食品由来の化合物を活用することで疾病に関わるようなmiRNA発現を調節できる可能性を示している

※論文の内容はこちら
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1044579X20302509

例えば、実験的にはターメリックに含まれるクルクミンが、特定のmiRNAを調節することによりがん細胞の増殖を阻害する可能性が示されている。また、お茶に含まれているエピガロカテキン-3-ガレート(EGCG)やぶどうなどに含まれるレスベラトロールでも同様の効果が報告されているが、これはほんの一部に過ぎないかもしれない。多くの食品由来の天然化合物は、健康増進に関してまだ知られていない側面を持っている可能性があり、miRNAと関連させた研究により新たな機能が解明されることが期待されている。

「予防に関する研究は長期的な視点が求められ、時間もかかり大変難しいものであるが、真の健康を追求するならば予防は重要であり、単独の研究室や企業だけで取り組むべき課題ではないのではないか」と大塚氏は語る。

キユーピーの研究者達は、定期的な運動やストレスレベルの低下などの様々な生活習慣要因が未病状態を健康な状態に戻すのに重要な役割があることを認識しているが、まずはその中でも食事を軸にして、人々の健康状態を把握するためにmiRNAを含むいくつかの指標を利用しようと考えている。「病気になる前の状態を把握できる指標を作ることが重要です」と河野氏は述べている。「もしmiRNAなどが指標となるのであれば、食品やその成分を摂取した際に、その指標の変化と健康への影響を紐付けることに役立ちます。その観点からも、重要な生活習慣の1つである食品・食事、miRNA、健康状態の関係性を調べることは非常に興味深いものです。」

キユーピーは、miRNAの状態などの指標に基づいて食生活を提案し、それを改善することで、将来的にはがんなどの疾病を予防できるヘルスケアサービスの開発を究極的には目指している。そのためには個々の食品成分やサプリメントだけではなく、バランスの取れた食事にも焦点を当てている。がんは世界の死因の第2位であり、その予防が実現できる社会を作れるのであれば潜在的な価値は膨大である。

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